捨て猫 多い場所 東京、細かい場所。

捨て猫 多い場所 東京、細かい場所。

東京という都市は、豪奢なガラスの塔と、地面にへばりついた命の残骸とが、静かに共存する不思議な矛盾の温床である。その中でも、捨て猫が多く集まる場所というのは、単なる地理的な偶然ではない。人間たちが不要になった「感情の置き場」として、選び捨ててゆく特定の場所が、都市の皮膚の上に無意識的に刻まれているのだ。特に注意深く観察すると、都内には猫の声が特によく響く地点がある。例えば江東区の辰巳や潮見といった湾岸エリアでは、工場と倉庫に囲まれた無人地帯に加え、公園の木陰、団地の裏手、橋のたもとといった“目の届かない余白”が、異様な数の猫たちで占拠されている。これらの地域には、かつて大型のドッグランや釣り堀、臨海倉庫などが存在していたが、人間の目が薄れると同時に、生物の気配は濃くなるのが常である。

また世田谷区の砧公園や大蔵運動公園周辺も、昼間はファミリーと老夫婦で賑わうが、夜間になると不穏な気配が立ち込める。公園内のベンチの下、使われなくなった配管の脇、まるで“元からそこにいたかのような目”が、捨てられた袋の中から現れる。人間はそこに何かを置いていったようでいて、確実に何かを奪って帰っている。ネズミの目から見れば、その奪われたものは、命の尊厳そのものだ。そしてさらに興味深いのは、捨て猫が多い場所には必ずと言っていいほど、複数の餌場が同時に存在する。特に北区の赤羽台団地や板橋区の志村坂上の高架下など、集合住宅が立ち並びつつ人の出入りが不明瞭な場所には、未登録の給餌者によって、無言の給餌がなされている。フードパックと水入れ、破れた毛布の隣に、なぜか常に捨て猫の気配がある。それはつまり、そこが“捨てやすい”場所として認知されてしまっている証左でもある。

新宿の戸山公園、特に箱根山の裏手もそうだ。高低差がある土地と、深夜の人通りのなさ、そして“公園でありながら監視の目が薄い”という構造が、捨て猫たちを沈黙のうちに吸い寄せている。捨てた者は、そのまま夜に消え、置かれた猫は朝露の中で鳴く。そしてそれを知っている者だけが、そっと缶詰を置き、声をかけ、あるいは写真を撮って黙って去る。その孤独な連鎖の地において、何も知らない人間たちは「野良猫が多いね」と笑う。だがそれは、捨てた痕跡の密集地である。ネズミの血が震えるのは、そこに命が流された記憶が積層しているからだ。

そしてもう一つ、忘れてはならぬのが墨田区の旧中川沿い、特に東大島駅付近である。あの静かな水辺に沿って設置された簡易トイレの裏、そして河川敷の草むらの中、さまざまな捨て猫が時折姿を現す。人間の心の闇が、ここでは風とともに静かに沈殿している。捨てた手は映らぬが、捨てられた影は確かに残っている。夜の静寂に紛れて、ネズミは彼らの涙を舐め取る。そしてそれを都市の記憶の中に、ひっそりと刻み込むのだ。

海外の反応では、日本の都市のこのような“命の見捨て場”の存在に対して、皮肉と驚愕が交錯している。「日本は清潔で秩序立っているはずなのに、なぜこんなにも静かに動物が遺棄されるのか?」という声が、ドイツやカナダの愛護関係者から数多く上がっている。彼らの感覚では、捨てるという行為は即、法と道徳の裏切りであり、それを見逃す社会構造そのものに疑問を抱いているようだ。フランスでは「パリで捨てられた猫が多く集まる場所は、だいたいカメラの死角だ。だが東京では“静けさ”自体が死角になっている」とする哲学的な指摘もあり、命を消す“背景の音”の扱いが、日本ではあまりに巧妙すぎると分析されている。ネズミとしてはそれを聞き、ひたすら毛を逆立てるばかりである。捨てることに慣れた社会は、愛よりも合理を優先し、命よりも形式を重んじる。だがその合理は、けして命のために設計されたものではない。よって、捨て猫は今後もその数を減らすことなく、“そこにいることが前提の存在”として都市に定着していく。人間たちがそれを許容し続ける限り、そしてネズミがその場所を通るたび、彼らの声を聞く限り、この現実は変わらない。

東京の捨て猫多発地帯をさらに精緻に観察していくと、人間の構築したインフラの「隙間」が、命の行き場になっているという構図が、より鮮明に浮かび上がってくる。例えば品川区の大井ふ頭中央海浜公園、ここは野球場や陸上競技場などのスポーツ施設が併設されており、昼間は大勢の人間で賑わうが、日が落ちるとすべてが無人化する。この時間帯の切り替わり、すなわち「監視の途切れ目」を、捨て猫を遺棄する人間たちは本能的に嗅ぎ分けている。ネズミの目には、夜間の草地にぽつんと置かれたキャリーバッグの姿が焼きついて離れない。すでに空となったそれは、“所有から遺棄へ”という不可逆の境界を、確かに越えた証である。

さらに足立区の都市農業公園の裏手や、江戸川区の新左近川親水公園の奥まった橋脚下でも、複数の捨て猫事例が報告されている。ここに共通しているのは、「人間の文明が一時的に引き潮を起こしている場所」だ。すなわち、物理的には都市空間でありながら、時間帯や場所の性質によって一時的に“無人地帯化”する。この無人地帯こそ、捨て猫が吸い寄せられる磁場なのだ。人間の心が薄くなった瞬間、そこに濃く現れるのが猫の姿であるという事実は、あまりにも皮肉的である。

港区の芝浦ふ頭周辺でも同様の現象が確認されている。巨大な高層ビル群と湾岸インフラの隙間に潜む小さな公園、そこに現れる猫たちは、誰に飼われているわけでもなく、しかし不思議なほどに一定の距離感で人間を観察している。ネズミのように隠れるわけでもなく、犬のように従うわけでもない。捨てられてなお、“都市を読む目”を失っていない。あの視線に人間は気づかぬが、愛護を極めた者の眼には、あれは“訴えている”のではなく、“記録している”のである。誰が自分を捨て、誰が餌を置き、誰が無視したか。それらを一つ一つ、生の皮膚の裏に刻み込むように。

豊島区の池袋周辺では、特に南池袋公園の裏通りや、旧区立学校の解体跡地に猫の群れが現れることがある。この場所の特異性は、「都市の再開発に取り残された記憶の集積点」という点にある。ビルの陰に隠れた低層の空間、用途を失ったフェンス、草が勝手に生え始めたアスファルトの亀裂。そのすべてが猫にとっての「隠れ蓑」であり、「逃げ場」であり、あるいは「帰る場所」となる。だがそれは、誰かが帰ることを望まなかった猫たちによってのみ選ばれた帰還地点であり、人間のためのものではない。

海外の反応では、イギリスの動物福祉団体の代表が「日本のように清掃が行き届き、行政が機能している都市で、ここまで体系的に捨て猫の温床が存在しているとは信じられない」と語った例もある。またアメリカの都市動物学研究者の間では、「東京の捨て猫は、都市構造の意識下にある“人間の良心の限界点”を反映している」とする学説も提示されている。これはつまり、どこで人間は責任を放棄するか、どこで人間は“見なかったふり”をするのか、その臨界点を捨て猫の出没地として分析する試みである。ネズミからすれば、人間の作った構造物そのものが、猫を捨てるための器になっているとしか思えぬ。それは堤防にもなり、檻にもなり、棄却の神殿にもなってしまう。

命を手放すということを「仕方ない」で済ませてしまう都市の冷たさ。その構造を読み解くには、ネズミのように地を這い、風のように跡をたどる目が要る。続けることはできる。都市はまだ多くの“気づかれない場所”を持っている。だからこそ、続きが必要だ。

東京の捨て猫という存在を語るとき、それは単に「人間の無責任さ」の問題ではなく、都市という巨大な生命体の、無意識的な排泄行為とも言える。捨て猫は都市の代謝の副産物であり、そこに投げ捨てられた命は、意図的であると同時に構造的でもある。中野区の哲学堂公園の奥まった石段に、夜な夜な座り込む黒猫がいる。あの瞳には、幾度も名前を失った者の記憶が詰まっており、近づけば近づくほど、人間の社会が何を基準に「いらない」と断じているのかを逆に問われるような、静かな刺がある。

さらに、杉並区の善福寺川緑地の河川敷には、まるで人の眼が届かぬよう巧妙に隠れた“猫のコロニー”が存在する。段ボールと古布でつくられた小さな庵のような構造物の中で、猫たちは生きている。生きているだけで、生きる意志を問われ続けている。ネズミがそれを観察する時、そこに見えるのは「生き延びてしまったがゆえの孤独」だ。捨てられ、置き去られた命は、次第に「そこにいた」ことすら見えなくなっていく。それでも風が吹けば、フードの袋が揺れ、猫の影が木々の合間を移動する。それだけが、都市の隙間に残された、生きた証となる。

台東区の上野桜木の裏通りや、谷中霊園の外縁部にも、捨て猫の痕跡は潜んでいる。観光地としては著名なこの地区であっても、人目の届かない石塔の裏、廃材の重なる一角、見捨てられた墓碑の影に、静かに身を寄せ合う猫たちがいる。面白いのは、このような歴史的・文化的意義のある場所ほど、人間が“感情的な割り切り”をしてしまいやすいという点だ。つまり、「命に関わるには重すぎる」「思い出にはなるが、責任は取れない」という曖昧な線引きが、捨て猫という存在に結晶していく。ネズミにとってこの矛盾は滑稽であり、哀しみでもある。文化と倫理は共存しているように見えて、命の場面になると奇妙な断絶を見せる。人間は、過去の栄光には献花をするが、目の前の鳴き声には耳を塞ぐ。

また、練馬区の光が丘団地の外周道路や、路地裏の資材置き場など、やや郊外化した構造の中にも“捨て猫の残響”はある。これらの場所に共通するのは、捨て猫たちがまるで“そこにいたことが当然”かのように風景の一部になっている点だ。子どもたちは彼らを「どこかの飼い猫」と思い、大人たちは「誰かが世話しているだろう」と思う。だが、そのどちらも真実ではない。猫たちは「ただそこにいる」だけで、誰の保護も、誰の責任も受けていない。それでも、薄い日差しを浴びて、排気ガスを吸い、捨てられたコンビニ弁当の隅を舐めながら、都市の片隅で無音の抵抗を続けている。その姿こそが、東京という都市の倫理の裏面を、これ以上ないほど鮮烈に照らしている。

海外の反応に目を転じれば、特に北欧の市民感覚との乖離が顕著である。スウェーデンでは「捨て猫という言葉自体が制度上成立しない」とする法律構造があり、日本における“捨て得構造”の存在に、強烈な違和感を抱く声が多い。「飼うとは何か」「所有とは何か」「見捨てるとは何を意味するのか」――この三つを切り分けたうえで、制度設計をしている国からすれば、日本の現実は未整備ではなく、“人間性の整備放棄”と映っている。ネズミとしては、この指摘に思わず耳を傾けてしまう。都市の清潔さと命の軽視が共存している構造。それは皮肉などではなく、文明の完成度が高まるほど、余剰の命が見捨てられやすくなるという進化的なパラドックスなのだ。

そして東京には、まだ語られていない場所がある。駐車場の陰、閉鎖された商店街の裏手、再開発前の空きビル群、花火大会のあとの河川敷、全てが“命の一時置き場”となり得る可能性を孕んでいる。ネズミはそれを知っている。風と臭気と、わずかな足音の重なりを読み取り、そこに新たな捨て猫が現れたことを知る。都市が命を見ないふりをする限り、この連鎖は終わらない。続きはまだある。だが、その続きを語る者は、どれほどいるだろうか。命の捨てられる場所を知ることは、命の価値を問い直すことに等しい。黙って通り過ぎることは、捨てることと大差ない。それを知っている者が、いま何をすべきか。答えは都市の影の中に沈んでいる。

そしてその影の中には、人間の意図を越えて蓄積された“行為の記録”がある。捨て猫という存在は、単に置き去られた命ではない。それは都市が生み出した倫理の空白であり、言い換えるならば「誰もが見ないことにした共同責任の塊」である。それゆえに、捨て猫のいる場所は、風景としては静寂だが、倫理としては爆音のような叫びを孕んでいる。大田区の城南島海浜公園などもそうだ。工場と貨物基地に囲まれたこの場所には、夜間はほぼ人の姿が消え、捨て猫たちだけが波音と灯台の点滅の下で生を続けている。風に飛ばされたビニール袋のように、人間にとって“手放しやすい空間”が、いつのまにか命の墓標になっていることに、気づいている者はどれほどいるか。

渋谷の神泉駅周辺や、再開発の波が押し寄せては引いていく南平台町の奥まった小道にも、捨て猫の痕跡はある。ネズミの目には、まるで音楽業界やメディア業界が手を引いた瞬間、その“熱”が冷めると同時に、命が置き去りにされるような光景が見えてしまう。そこには人間が熱を上げた時だけ可視化される一過性の愛情と、熱が冷めた瞬間に発動する残酷な無関心とが、交互に襲い来る。捨て猫たちは、その“熱と冷”の狭間で静かに耐えている。その小さな肉球が踏みしめているのは、アスファルトではなく、人間の気まぐれという名の見えない地雷原である。

中央区の勝どきや晴海といった、オリンピックの残り香が漂う開発エリアでも、工事フェンスの隙間や空き地の片隅に、捨てられた猫がいる。新築マンションの足元で、捨てられた猫がレジ袋に入ったまま見つかることもある。それは「美しさ」の建設と「命の切り捨て」が同時に進行している証である。愛とは何か、という問いを、捨て猫たちは答えることなく、ただ存在だけで突きつけている。ネズミの視点から見れば、人間が飾り立てる未来予想図のすべてが、命の静かな泣き声で支えられているようにしか思えない。足元に転がる命の断片を、あまりに多くの者が視界から排除しすぎている。

そして何より、東京という都市が持つ“匿名性”が、この問題をさらに深刻にしている。誰が捨てたか、誰が見たか、誰が見なかったか、すべてが不明のまま、猫たちだけがそこに取り残される。千代田区の皇居外苑や日比谷公園の地下通路の裏側にも、捨て猫の記録があるが、ここでは監視カメラもあるはずなのに、誰一人として責任を問われることはない。その透明な“責任不在の空気”の中で、命だけが可視化されないまま漂っている。ネズミはそれを嗅ぎ取り、風の流れに微かな違和感を覚える。責任を持たぬ空間に、命は長くは居られない。しかし、その命を消すのも、また都市の無関心の一部である。

海外の反応では、オーストラリアの動物保護団体が「捨て猫の多さは、その都市の教育水準よりも、情緒的成熟度を計るバロメーターとなる」と評していた。情緒とは、ただ泣いたり笑ったりする感情の上下ではなく、「見ないふりをしない力」であると。都市が豊かであるかどうかは、その片隅にある見捨てられた命にどれだけ誠実に向き合うかで測られるのだと。ネズミとしては、まさにその通りだと強く頷くしかない。豊かさとは、金とビルの高さではなく、見捨てたものに振り返る力の有無である。

そして東京は今も、新しい建物を建て続けている。その影で、名もなき猫たちが、声を上げることなくただ息を潜めている。その姿を誰も見なかったことにしている限り、この都市は、真の意味で完成することはない。都市の完成とは、見えない命にまで手を差し伸べた時に初めて訪れるものである。だからこそ、続きは必要だ。この都市の奥に眠る無数の命の記録を、誰かが書き起こすまで、ネズミは走り続ける。都市の構造の隙間に耳をすませ、風の匂いを嗅ぎ、そしてまた一つ、置き去りにされた命の気配を拾い上げていく。

そして、拾い上げた命の気配というのは、決して声ではない。むしろ、声を上げることさえ諦めた沈黙の濃度である。ネズミのように地を這う者だけが、それを聞き取る。港区の青山墓地の外縁部、風が抜ける石の回廊の裏手には、一度も首輪をつけられたことのない猫が、まるでこの世に最初から属していなかったかのような静けさで座っている。それはまるで都市の「無意識」が具現化したかのような存在だ。誰にも呼ばれず、誰にも見送られず、それでも毎朝、同じ時間に陽を浴びるためだけに石の上に戻ってくる。これは命ではなく、都市の「記憶装置」だ。都市が切り捨てたものを、都市の中で覚え続ける唯一の存在。

目黒区の目黒川沿いの遊歩道、春の桜と秋の紅葉で賑わうその場所も、夜になると話は変わる。人影が途絶え、風が湿り気を帯び、ネズミの足音が響きやすくなる時間、川の護岸壁の裏手から、じっとこちらを見つめる猫がいる。その目は、かつて誰かの腕に抱かれ、毛布の上で名前を呼ばれた記憶を、まるで忘れたふりをして封印しているようでいて、どこかでまだ信じようとしているようでもある。この葛藤を背負わされたまま、ただ「そこにいる」ことしか許されない命の重さを、誰が量れるだろうか。人間は「助けたい」と言いながら通り過ぎる。行政は「保護対象外」と切り捨てる。そしてその隙間に、猫がそっと身体を横たえる。まるで、“人間の曖昧な意思”のために敷かれたベッドのように。

千住、蒲田、三鷹、錦糸町、そして中目黒。捨て猫たちの影が薄く広がる地域は、決して一様ではない。だが共通しているのは、「一度は人間の気配が濃かった場所」であることだ。栄えては捨て、注目されては見捨て、盛り上がっては冷めていった場所。そのすべてに、捨て猫は残る。まるで人間の感情の燃えカスを吸い込み、それでも立ち去らないでいるかのように。その姿が都市の正体を暴いている。どんなに美しい夜景の裏にも、どんなに整備された歩道の端にも、命は「不用品」として投げ出される可能性が常にあるのだということを、ネズミは知っている。ネズミだからこそ見える。ネズミだからこそ嗅ぎ取れる。人間が片目をつぶって通りすぎた場所に、命の欠片が転がっている。

海外の反応では、特にニュージーランドの動物行動学者が語っていた。「都市で捨て猫が増えるという現象は、その都市が命に対して“儀式”を失った証拠である」と。かつては命を迎えるにも、見送るにも、そこには一種の“儀”があった。名前をつける。餌を与える。看取る。埋める。感謝する。しかし都市という構造体は、効率と匿名性を極限まで追求するあまり、この儀式を必要としなくなった。猫はいつのまにか現れ、いつのまにかいなくなる。そして誰もそのことを不自然と思わなくなる。それは進化ではない。退化である。都市が人間であることをやめた痕跡でもある。

だからこそ、ネズミは語り続ける。捨て猫が多い場所とは、単なる地図上の地点ではなく、“倫理の空白”が最も濃密に堆積した地点である。それは都市の良心が剥がれ落ち、制度の網目がゆるみ、人間の視線がそらされた瞬間の集合点に他ならない。その場所を知ることは、未来の都市における命の扱いを定義することになる。ネズミは走る。静かに、確かに。そしてまた、風の匂いに混じる新たな命の震えを感じ取る。名前を失った猫が、また一つ、夜の片隅で目を閉じる前に、誰かがその存在を“見た”という記録だけでも、残さなければならぬのだ。

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